高い品性を備え、人と社会に貢献する女性の育成


高い品性を備え、人と社会に貢献する女性の育成
| 学校名 | 東京女学館小学校 |
| 所在地 | 〒150-0012 東京都渋谷区広尾3丁目7番16号 |
| 電話番号 | 03-3400-0987 |
| FAX番号 | 03-3400-1018 |
| 理事長・館長 | 福原 孝明 |
| 学校長 | 盛永 裕一 |
| 児童数 | 461 名(令和6年4月1日現在) |
| 教職員数 | 49 名 |
1886年(明治19)、当時あまり顧みられていませんでしたが、女子高等教育の必要性を痛感した内閣総理大臣伊藤博文が創立委員長となり「女子教育奨励会創立委員会」がつくられました。
創立委員には、伊藤博文の他に、渋澤栄一(実業家)、岩崎彌之助(実業家)、外山正一(東京帝国大学総長)、ジェムス・ディクソン(東京帝国大学英語教授)、アレキサンダー・ショー(聖公会司教)など、当時の政・財・官界の有力者によって構成されました。
翌年発足した女子教育奨励会は北白川能久親王を会長に戴き、1888年(明治21)9月、同会によって「諸外国の人々と対等に交際できる国際性を備えた、知性豊かな気品ある女性の育成」を目指して設立されたのが東京女学館です。
東京女学館小学校は1929年(昭和4)4月に東京女学館小学科として渋谷区広尾に誕生しました。
| 1888年(明治21年) | 東京女学館設立する。 永田町御用邸雲州屋敷(現在の衆議院議長公邸)にて開校。(*公邸の石垣に「東京女学館発祥の地」のレリーフあり) |
| 1890年(明治23年) | 虎の門の旧工部大学校生徒館(現在の文部科学省所在地)に移転する。 |
| 1900年(明治33年) | 5年の普通科と2年の高等科を置く。 |
| 1923年(大正12年) | 関東大震災後、渋谷羽沢に移転する。 |
| 1929年(昭和4年) | 小学科を開設し、まもなく小学部と改称する。 |
| 1930年(昭和5年) | 白いセーラー服を制服とする。 |
| 1936年(昭和11年) | 普通科を中等科、小学部を初等科と改称する。 小学校渋谷校舎落成。 |
| 1943年(昭和18年) | 校章、校旗を制定する。 |
| 1947年(昭和22年) | 新学制制度実施に伴い、中学校を開設する。 |
| 1948年(昭和23年) | 同じく高等学校を開設する。 東京女学館小学校と改称する。 校歌「開花のひかげあたらしく」を制定する。 尾上柴舟作詞・小松耕輔作曲 |
| 1950年(昭和25年) | 林間学校開始。 修学旅行開始。 |
| 1951年(昭和26年) | 財団法人東京女学館を学校法人に改組する。 |
| 1953年(昭和28年) | 2学級制となり、新1年生よりA組・B組となる。 |
| 1954年(昭和29年) | 専攻科を開設。 軽井沢に学習寮を設ける。 |
| 1956年(昭和31年) | 短期大学を設立し、翌年専攻科を廃止する。 |
| 1961年(昭和36年) | 奥日光にて林間学校開始。 |
| 1969年(昭和44年) | プール開放、水泳実習・水泳教室始まる。 |
| 1970年(昭和45年) | 6年生送別ドッジボール大会始まる。 |
| 1973年(昭和48年) | 書初め大会始まる。 文集「赤いリボン」第1号発刊。 |
| 1974年(昭和49年) | 軽井沢学習寮にてクラブ合宿始まる。 |
| 1978年(昭和53年) | 東京女学館小学校創立50周年記念式典を行う。 |
| 1984年(昭和59年) | 3年生校外学習始まる。 |
| 1988年(昭和63年) | 東京女学館創立百周年記念式典を行う。 |
| 1996年(平成8年) | ワールドタイム(英語科の前身)始まる。 |
| 1998年(平成10年) | 渋谷校舎全館落成する。 |
| 1999年(平成11年) | 21世紀に向けてミッションステートメント策定・発表 |
| 2000年(平成12年) | AO型入試始まる。 小学校のリボンの会(保護者会)を発足する。 ワールドタイムから英語の授業となる。 ビオトープ竣工式。 |
| 2001年(平成13年) | 海外研修始まる。 「すずかけ」「つばさ」の授業始まる。 |
| 2002年(平成14年) | 四年制大学を開学する。 |
| 2003年(平成15年) | 5・6年生スキー教室始まる。 |
| 2004年(平成16年) | 中学校高等学校に国際学級を開設する。 |
| 2008年(平成20年) | 東京女学館創立120周年記念式典挙行 |

衆議院議長公邸の北側、青山通り沿いの外壁に「東京女学館発祥の地」のレリーフが埋め込まれています。
東京女学館は、明治20年(1887)、この地(旧松平出羽守邸、俗に雲州屋敷、のち閑院宮邸)を皇室より貸与され、翌21年(1888)『国際性を備えた知性豊かで気品ある女性の育成』を建学の精神として、伊藤博文、渋沢栄一、岩崎弥之助、外山正一、コンドル、アレクサンダー・ショーなど、日本の近代化の礎を築いた明治の元勲を初めとする各界の名士により創設されました。
その後、麹町三年町(旧工部大学校)に移り、「虎ノ門女学館」と称せられました。大正12年(1923)関東大震災のため焼失し、渋谷御料地に移り、女子の一貫教育の場として今日に至っています。